チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

【本】『遣唐使全航海』(上田 雄)/遣唐使の成功率は?

ナショジオの『メーデー! 航空機事故の真実と真相』は、その名の通り、航空機事故を大真面目に検証する番組だ。なんと現在シーズン18! どんだけ事故が多いんだ。どこかの地球外生命体がこの番組だけを見ていたら、この星の人々はほんの少しの距離を命がけで移動している…と憐れむのではないだろうか。しかし実際には、ほとんどのフライトは無事に目的地に着く。交通事故に遭う確率のほうがよほど高い。「何も起こりませんでした」という記録が伝えられることはないため、めったにない事故の印象だけが残るのだ。

そこで遣唐使前回の記事でこう書いて逃げたところがある。

鑑真も大変だったが、招きに行く側も大変だった。まず遣唐使船というのが非常に危険だ。というイメージだけで書き進めそうになったが、そこは理系なので、生存率を確認しないではいられない。すると、実際のところはよくわからないらしい。この話は後日あらためて。まあ唐に渡るだけで一苦労だったはずだということに、いったんしておく。 

ずっと昔、7世紀から9世紀の話。船も航海の技術もそんなに進んでなかったんじゃないか。そう想像しがちだが、実際には、とうの昔から「海のシルクロード」によって中国大陸とヨーロッパ・中東は結ばれていた。『天平の甍』にも、インドやペルシャなど異国の船でにぎわう広州の港の様子が描かれている。ただ、もしかして日本だけは遅れていたのかもしれない、という恐れはある。遣唐使は実際のところどうだったんだろう? という実態を明らかにしたのが本書だ。

遣唐使全航海

遣唐使全航海

  • 作者:上田 雄
  • 発売日: 2006/11/25
  • メディア: 単行本
 

書名の通り、遣隋使に続いて始まった最初の遣唐使から、菅原道真が行くはずだった遣唐使が中止されるまで、すべての航海が記されている。 正直、遣唐使について他の本を読んでいないので自信はないが、こうした「すべてまとめました」という試みは初めてのようだ、意外にも!

そもそも、全部で何回なのか、数え方が色々あって、ややこしいらしい。本書では、任命されただけで実行されなかった使節を除き(←当たり前だと思うが)、その他の微妙な回も除いた上で「15回」とカウントしている。

個別の航海の諸事情もそれぞれ面白いのだが、個人的に気になっていたのが成功率。これは端的にまとめられていて、

  • 36隻のうち26隻は無事に日本に帰着(7割強が往復に成功)
  • 人数ベースでは8割強が帰国

どうだろう?
予想以上に成功率が高いと思うのでは?

たしかに空海最澄も円仁も、無事に帰国した。吉備真備(きびの まきび)のように2度往復した者さえいる。ただ「無事でした」とわざわざ記録する者は少ないのだろう。いかに危険な目にあったかを語り伝えるのが人間というものだ。実際、穏やかな航海ばかりではなかっただろうし。

また、私もすっかり誤解していたのが鑑真の渡日。遣唐使船で来日した鑑真は「5度失敗し、6度目で渡日」と言われる。嘘ではない。しかし、3度は海に出る前に発覚して頓挫。1度は近海で座礁した。本格的に(?)東シナ海に出て失敗したのは1度のみだった。しかも遣唐使船ではない。

このように本書は、私が持っていたような通俗的なイメージを含めて、「遣唐使=超危険」といった「通説の誤り」をただしてくれる。たとえば、

通説「日本人は東シナ海季節風の知識を持っていなかったから決死の覚悟だった」

実際「季節風を利用したからこそ成功した」

古くから遣唐使研究者界隈には、どういうわけか、東シナ海における風向きへの基本的な誤解(というか無知)があるという。実際びっくりするほど基本的なことなのだが。こうした研究者の著作を、よりによって司馬遼太郎が下敷きにして『空海の風景』を書いてしまったことが、誤解の定着に輪をかけたというのが本書の主張だ。

もうひとつ興味があったのが、船の形。映画などで何となく見かける「あの形」に根拠はないらしい。出典は遣唐使から300年もたった鎌倉時代に絵巻物に描かれた姿。その時点ですでに想像の産物だろう。

面白いのは、遣唐使として錚々たる人々が大量に派遣されながら、信じられないことに、船の形についての記録がほとんどないということ。乗り物好きの理系とか、旅好きとか、絵が好きとか、ひとりぐらいいなかったのだろうか、よくわからない。「宇宙人の目撃者にかぎって絵が下手である」という都市伝説と、映画『コンタクト 』の名台詞「詩人を乗せるべきだった」を同時に思い出した。

まだまだ興味深いことはたくさんあるのだが、ネタバレが過ぎるのでこのへんでやめておこう。遣唐使はたしかに大陸に学びに行くためのものだったが、だからといって「航海や造船の技術も劣ってました」なんて卑屈にならなくてもいいと、よくわかった。昔から海人族だっていたことだし、技術はすでにあっただろう。なかったとしても、航海や造船こそ真っ先に学ぶんじゃないか、普通。

遣唐使全航海

遣唐使全航海

  • 作者:上田 雄
  • 発売日: 2006/11/25
  • メディア: 単行本