チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

【本】『天平の甍』(井上靖)/鑑真とか遣唐使船とか

攻殻機動隊SAC_2045』の続きを見ようと思ったら、そういえば『空旅中国』に鑑真の回があったはず、と急に思い出して、NHKオンデマンドをチェック。ドローン空撮が目玉のこの番組、空海玄奘・茶馬古道など、仏教・チベットを何かとフィーチャーしてくれる。鑑真編、やっぱりあった。ナレーションは近藤正臣玄奘編もそうだった。

ご存知の通り、唐の僧侶、鑑真は5回も渡航に失敗し、失明までした上で、6回目でついに来日を果たした。鑑真は自ら日本に赴こうと思い立ったわけではない。招きに行った日本人たちがいるのだ。それが遣唐使と一緒に唐に渡った僧侶たち。そのひとり、普照を主人公にして、鑑真来日の過程を描いたのが『天平の甍』だ。日本人として大変お恥ずかしい話だが、井上靖は初めて読んだ。これまで読まなかったことを後悔している。

天平の甍 (新潮文庫)

天平の甍 (新潮文庫)

  • 作者:靖, 井上
  • 発売日: 1964/03/20
  • メディア: 文庫
 

奈良時代、すでに仏教は伝来していたものの、戒律を正式に授ける戒師がおらず、戒律がないがしろにされていた。税金逃れのために、勝手に僧を名乗る輩もいたりして。本来、10人以上の僧(三師七証)の前で授戒しないと、正式な僧侶とは呼べない。そこで戒師を招かなきゃということで、唐に派遣されたのが興福寺の栄叡(ようえい)と大安寺の普照(ふしょう)だ。

鑑真も大変だったが、招きに行く側も大変だった。まず遣唐使船というのが非常に危険だ。というイメージだけで書き進めそうになったが、そこは理系なので、生存率を確認しないではいられない。すると、実際のところはよくわからないらしい。この話は後日あらためて。まあ唐に渡るだけで一苦労だったはずだということに、いったんしておく。

また、初めから鑑真を招くと決まっていたわけではない。たいした情報もないまま唐に渡ったのだ。まず誰を招くのかから始めて、鑑真に会うまでに実に10年を費やしている。それから鑑真を口説いて、なんやかやで、鑑真来日にまで21年かかった。その間には奈良で大仏が建立されたりして、世の中ずいぶん変わってしまっていた。

さらに大変なのが、唐の国自体が、外国への出国を禁じていたことだ。玄奘も隠れて旅立った。鑑真も高僧だったため、変な動きをすると目立ってしまう。日本へ行こうとしていることがバレないように、という余計な苦労を強いられた。実際、弟子に密告されたりしている。

仮に旅立てたとしても、船が思うように進まない。出発地の揚州からまっすぐ西に向かえば九州のどこかへ着きそうなものだが、一度などは南へ流されて、なんと「中国のハワイ」海南島に流されたりしている。そこから陸路でまた桂林、広州を経て揚州に戻り、再起を図ったというからすごい執念だ。

天平の甍』は、その鑑真の「日本に戒律を、正式な仏教を伝えよう」というモチベーションを深掘りしているわけではない。鑑真は本心をあまり語らない師として描かれている。重きを置いているのは、迎えに行った側の日本人たちの人間模様だ。

中でも印象深いのは栄叡と普照の対比。初めから志が高く、鑑真を招くのに熱心だった栄叡は、海南島から揚州に戻る途中、広州で病死してしまう。一方、なかば成り行きで栄叡に引っ張られるかたちだった普照が、鑑真とともに渡日を果たしてしまった。しまった、て言い方はないか。

鑑真は唐招提寺を創建し、日本の僧侶らに戒を授け、ここに正式な僧侶がはじめて誕生した。日本仏教の正式な始まりだ。チベットでいえば、ナーランダ僧院から招かれたシーンタラクシタ(↓2001年タントゥク寺で撮影)がサムイェ寺で「試みの七人(または六人)」に戒律を授けたことに相当する歴史的な大事件だった。

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こうした鑑真の華々しい活躍をアシストした普照についての記録はあまりなく、没年さえわかっていない。『空旅中国』によると、海南島の三亜には、鑑真・栄叡・普照など5名の僧侶の像が立っている。また、広東省肇慶の慶雲寺には、その辺りで命を落とした栄叡が祀られているそうだ。

困るのは『天平の甍』で、情熱的な栄叡、淡白な普照といったキャラがすっかり(自分の中で)印象づけられてしまったことだ。鑑真についての記録は、没後に書かれた伝記『唐大和上東征伝』くらいしかないのだから、出来事や旅程はともかく、人物像なんてほとんど創作のはず。栄叡・普照以外のサブキャラも魅力的すぎる。司馬遼太郎同様、話が面白すぎて、史実がどうでもよくなってしまうという歴史小説の醍醐味をひさびさに実感することができた。次は『敦煌』あたりを読もうと思う。

天平の甍 (新潮文庫)

天平の甍 (新潮文庫)

  • 作者:靖, 井上
  • 発売日: 1964/03/20
  • メディア: 文庫