最近、週末ごとに、Instagramに昔のチベットの写真をupしている。だいぶ数がたまってきたので、せっかくだから、ちょっとずつ解説をつけていこうのコーナー。まずは、こちら。
Kirti monastery in #Amdo Taktsang Lhamo, Eastern #Tibet in 1992
町の名前はアムド地方タクツァン・ラモ。漢語では郎木寺。海抜は3350mぐらい。ざっくり言うと、甘粛省(甘南チベット族自治州)と四川省(阿坝チベット族羌族自治州)の境界線が町の真ん中を横切っている。甘粛省側にセルティ・ゴンパ、四川省側にキルティ・ゴンパという大僧院。省の境界で隔たれるぐらいだから、歴史的に相当、仲が悪いのである。今も同じチベット仏教ゲルク派でありながら、別のグループに属している始末。
上の写真は1992年秋のキルティ・ゴンパの大チョルテン(大仏塔)。キルティ寺もセルティ寺も、かつて破壊された伽藍を再建している真っ最中であり、ひときわ巨大なこのチョルテンは、さあこれから盛り上げるぞーという象徴のように感じられた。町もあるにはあったが、蘭州と成都を結ぶ幹線道路から脇道を入って数時間という不便さのおかげで、いい感じのひなびた田舎だった。だからこのチョルテンは大いに目立ったのである。
甘粛省の合作あたりからバスでタクツァン・ラモに入ったものの、町を出る車がなかなか来なくて(たぶん1日1本あるかないか)、結局、幹線道路まで歩き、ヒッチしたトラックの荷台に乗って大草原を南下し、ゾッゲまで行った。
そんなタクツァン・ラモを25年ぶりに訪ねたのが2017年夏。予想はしていたが、とんでもなくでかい街になっていた。もはや記憶上の地理との照合は不可能。前回は正直どんな場所なのかよくわかってなかったので、寺と鳥葬場にしか行かなかったが、今回は、タクツァン・ラモ(虎の穴の女神)という地名の由来になっているらしき洞窟に巡礼できた。風光明媚な場所なので、すっかり観光地になっていたものの、チベット人比率がかなり高かったので、まあ巡礼ぽい気分にはなれたかな。
変貌が激しすぎて原型を思い出せない中、1つだけ見つけられたのが、上記のチョルテンだ。他の建物に埋もれて見逃しそうだったが、こちらが2017年夏の姿。
#Now at Taktsang Lhamo Kirti Monastery, Amdo, Eastern #Tibet
これは現地からリアルタイムでインスタにアップした写真。裏側だと思う。周りに建物があって、この辺りからしか写真が撮れなかったのだ。離れると他の建物に隠れてしまう。25年前は建てたばかりだったはずだが、今や、日本人的にはちょうどよい感じの侘び寂び加減に古びてくれている。最近建ったばかりのピカピカの伽藍も周りにある中、すでに朽ち果てていると言っても過言ではない。
そこがいい。
今度行ったら、1992年と同じアングルの写真をがんばって撮ろうと思う。チベタン・ブルーな空の青さだけは変わらないね。
おまけ。これもインスタに上げた写真。
キルティ寺の小坊主たち。観光客のカメラの列から逃げるように走り去って行った。
running monks at Taktsang Lhamo Kirti Monastery, #Amdo, Eastern #Tibetin 2017 summer