チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

【本】『失われた旅を求めて』(蔵前仁一)/経堂の南インド料理屋スリマンガラムのミールズのテイクアウト

ひとことで言うと「昔の旅」の写真の本。どれくらい昔かというと、1980〜90年代だ。本書の帯にもあるように「バックパッカーが自由に旅できた時代」。もちろん今だって自由に旅はできる場所は多いのだが、国の発展や政情不安によって、バックパッカーから見れば、自由さが失われてしまったと思える場所もある。

失われた旅を求めて

失われた旅を求めて

  • 作者:蔵前 仁一
  • 発売日: 2020/04/15
  • メディア: 単行本
 

本書で「世界で最も変わってしまった場所」として、まず中国が登場するのは、本当にその通りだと思う。兌換券から人民元への闇両替、2泊3日硬座の列車旅、いかに中国人ぽく振舞って人民料金で切符を買ったり観光地に潜入するかの攻防などなど、バックパッカー的には挑戦ネタに困らない場所だった。あの自転車だらけの国が、今のように全国民が顔認証で管理される大国になってしまうとは誰も思わなかっただろう。

中国に続いて紹介されているのはクンジェラブ峠とチベットだ。クンジェラブ峠はパキスタンが側から越えたはずだがほぼ記憶がない。ものすごく小さなジープ状の車に押し込まれ、写真を撮る余裕すらなかった。いや国境の標識ぐらいは撮ったはずだが、その後、カシュガルで追い剥ぎにあいカメラとフィルム一式すべて盗られたので何も残っていないのだ。カシュガルからウルムチはバスで3日だったと思うが、こちらのほうが記憶にあるかな。

そしてチベット。ろくに公共交通機関もなく、県庁所在地なのにバスが3日に1本とか。それでも輸送トラックをヒッチして、けっこう色々な所にいくことができた。いちおう外国人が行ってよい場所は建前上限られていたはずだが、公安や解放軍など見張る側もたいてい大らかで、抜け道だらけで融通がききまくっていた。道路も交通機関も法律も整備された今と比べれば、不便だらけだったが、バックパッカー目線だけでいえば、とても自由だったのだ。

蔵前さんも本書で書いている通り、そうやって自由に旅できる日がずっと続くと、漠然と思っていた。というか、もっと自由になるとさえ勝手に期待していた。そして、裏切られた。まあ一方的な感傷なわけだが。

発展して便利になったというポジティブな(?)理由ではなく、戦争などによってアクセスできなくなったり、物理的に失われてしまった場所もある。そんなアジア・中東・アフリカの「失われた旅」を、いかにも昔っぽい味わいの写真とともにたどったのが本書だ。個人的にも蔵前さんから数年遅れで似たようなところに行っているので、どっぷり浸れる。

https://www.instagram.com/p/B_KRhvEppRK/

OSADA Yukiyasu on Instagram: “ポストに何か届いた音がしたので、ついにアベノマスクかと思って見に行ったら、蔵前仁一さん著『失われた旅を求めて』(旅行人)が到着! 旅行人の直販で買いました。速かった! もちろん #チベット も「世界で最も変わってしまった場所」として登場します☆”

本書では取り上げられていないが、個人的には香港。中国に返還された後もたいして変化はなかったが、まさか香港人自身のデモで行けなくなるとは思わなかった。あげくはコロナ禍で、もはや国内でさえ自由に移動できなくなったわけだ。

↓インスタに載せた写真から、1987年、香港の雑居ビル、チョンキンマンション(重慶大厦)のエレベーターにて。たしか16階まであって、安宿がたくさん入居していた。中国の長期ビザもここで取れた。商店やオフィス、ホテルはもちろん、工場まで入っていて、まさに雑居ビル。

https://www.instagram.com/p/B1L3JfvAq-M/

OSADA Yukiyasu on Instagram: “at Chungking Mansion, #Hongkong in 1987 summer on my way to #Tibet for the first time. #香港”

↓こちらは香港のマンゴースイーツ「許留山」(Huilaushan)にて。中国本土にも進出したが、コロナでどうなっただろうか。

https://www.instagram.com/p/Ba1U11og_xJ/

OSADA Yukiyasu on Instagram: “#now at another #Huilaushan 許留山, #TST, #Hongkong”

といった具合に懐かしんでいるわけだが、中にはたいして変わっていない場所もある。それがインド。蔵前さんも「変わった気がしない」と書いている。もちろん変わってないわけがないが、雰囲気というか、佇まいのようなものが変わりきっていないように感じるのだ。だから、これから行く人も間に合うと思う。それがインド時間。

↓こちらの写真はインスタには載せていないが、1986年、北インド、リシケシにて。チラム(マリファナ用のパイプ)をつくる職人だ。蔵前さんの『ゴーゴー・インド』にも「プク」として登場する。私は「クプ」と聞いた。「Kupu Baba」と名前を書いてくれたのだ。どっちでもいいけど。スイス・コテージというすごい名前の宿に泊まったら、隣に住んでいた。一緒に遊びに行こうと誘われて訪れたのが、チベット難民が住む町、ムスーリー。そこで初めてチベット人に出会ったのだった。クプの狙いは、肉と酒。リシケシは聖地なので、どちらも禁じられているからだ。

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↓これもインスタに載せていないが、1992年の、、マドラスかな。南インド。あ、今はチェンナイっていうんですね。チェンナイには今年の春、行くかも、という予定だったが、それどころではなくなってしまった。

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ちょうど今日、南インド料理屋のミールズ(定食)をテイクアウトしたら、カレーもライスもとてつもない量。もともと、おかわり自由なので、その分も入れてくれているのだろう。食い過ぎて眠れなくなって、これを書いている次第。↓インスタより。

https://www.instagram.com/p/B_Ul44vJdFd/

OSADA Yukiyasu’s Instagram post: “#経堂 #スリマンガラム のテイクアウトのミールズ、1つ一つ袋に入ってる☆ #StayHome #MealsReady”

では本日はこのへんでー☆

 

失われた旅を求めて

失われた旅を求めて

  • 作者:蔵前 仁一
  • 発売日: 2020/04/15
  • メディア: 単行本
 

 

 

【本】『三蔵法師の歩いた道』(長澤和俊)/慈恩寺の玄奘塔(埼玉県岩槻)

ひきつづき玄奘関連の本。前回ご紹介した『玄奘三蔵 西域・インド紀行』の訳者による『三蔵法師の歩いた道 巡歴の地図をたどる旅』が到着した。玄奘の求法の旅の足跡を著者自身がたどるという内容。

著者の旅はシルクロードやインドの仏跡はもちろん、カザフスタンキルギスウズベキスタンアフガニスタンにまで及ぶ。玄奘の生涯を時系列で紹介しながら、その場所が今どうなっているのか、実際に訪れて記してくれている。玄奘の生涯や人となりも含めて、この1冊でだいたい、しかも正しく知ることができる。

玄奘が旅したルートはもともと色々な民族・宗教が混在している上、中国・ロシア・インドといった大国の国境が入り組んでいるエリアが多く、現在の旅行事情も複雑だ。入域や国境越えが叶わなくなっている場所も多い。

玄奘の時代にはパスポートとかIDといった面倒なものはなかった代わりに、山越え、砂漠越え、山賊といった危険がつきものだった。とはいえ行く先々で厚遇されることも多く、仏教を重用するインド諸国の王様たちに「ぜひもっと滞在して」と引きとめられて、なかなか離してもらえなかった、なんて微笑ましい(?)逸話も。そんなこんなで旅は17年に及ぶこととなった。

ナーランダで学ぶという目的を果たし、無事長安に帰った後の生涯も、本書は最後まで網羅している。そこで思い出したのが、埼玉県岩槻氏にある慈恩寺だ。すっかり忘れていたのだが、2015年に行ったことがある。拙著『ぶらり東京・仏寺めぐりり』(幻冬舎)のために原稿も書いた気がするけど最終的にはボツ。東京じゃないし。。

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慈恩寺の立派な玄奘塔。慈恩寺とは少し離れた場所にそびえ立っている。ただ名前がついているだけではなく、なんと玄奘の遺骨が祀られているのだ。もともと長安にあったはずのものが行方不明になり、日中戦争中に日本軍が南京で再発見。中国側に返還したという縁があり、一部が日本に贈られたのだ。さらに奈良の薬師寺にも分骨され、玄奘三蔵院に祀られている。

というわけで、玄奘シリーズはいったん終了!

 

【本】『玄奘三蔵 西域・インド紀行』(慧立・彦悰)

前回に引き続き玄奘関係。『大唐西域記』は玄奘自身が皇帝・太宗のために記した地誌、報告書だった。

tibet.hatenablog.jp

一方、玄奘旅行記そして伝記として、さらに詳しいとされているのが、弟子によって編纂された『大慈恩寺三蔵法師伝』だ。その前半を和訳したのが『玄奘三蔵 西域・インド紀行』だ。本書は前半のみだが、訳者はもともと全訳を刊行したことがある。さらに玄奘の行程を(一部を除いて)ほぼ踏査したとのこと。さすが。

玄奘三蔵 (講談社学術文庫)

玄奘三蔵 (講談社学術文庫)

 

さて、その行程のことで『大唐西域記』の中でも気になっていたのが、玄奘は書いてある場所すべてに行ったわけではないということ。もともと『大唐西域記』では、伝え聞いた「伝聞国」を「至●●」と記し、「親践国」(実際に行ったという意味らしい)を「行●●」と記して区別したそうだ。しかし、『大慈恩寺三蔵法師伝』ではどちらも実際に行ったかのように書かれてしまっている。この書き分けによると、玄奘はウディヤーナに実際には行っていない、もしくは、帰路に行ったということらしい。

あと、南インド玄奘はナーランダ僧院で5年ほど学んだ後、今のチェンナイ(マドラス)付近まで南下し、そのあとデカン高原の南を回ってはるばる西インドにまで赴いた後に、ナーランダに戻ったことになっている。今では跡形もないであろうが、当時まだあちこちに仏教寺院があり、行く先々で学んでいたようだ。が、これもどこまで本当なのかよくわからない。

そもそも、唐を発った年や、ガンダーラカシミールを経てナーランダに到着した年さえ、実は確定していないのだという。伝記が数種類あり、少しずつ内容が異なるからだ。といっても釈迦の生年のように何百年もの幅で異説があるわけではなく、数年の差なのだが。

玄奘の求法のルートについては、こちら(↓Wedge Infinity 2011年8月23日)の記事の中の地図が好き。なぜなら日本列島が丸ごと載っているからだ。普通、日本でいえばどれくらいの距離なのか知りたいでしょ。こういう広範囲の地図が意外にない。ほとんどの地図は長安から西だけだ。この地図は実際に行ったルートと、行ったかどうか疑問のあるルートの区別もわかりやすい。

wedge.ismedia.jp

https://wedge.ismedia.jp/mwimgs/d/e/-/img_defaea2af977829e7caadfe5a0ab09b0595226.jpg

↑Wedge Infinity 2011年8月23日)より

玄奘の17年にわたる旅のスケールがよくわかる。とともに、このルート、何かを避けているように見えないだろうか? そう、避けられているのは、真ん中の白っぽい色の部分、つまりチベット高原だ。玄奘長安にいた頃から、ナーランダで『瑜伽師地論』を学ぶことを目的に定めていたようだ。だとすると、チベットを突っ切れば(距離的には)ずっと近そうに見える。

玄奘がインドにいた頃、唐からチベット文成公主が嫁入りした。唐とチベットを結ぶ「唐蕃古道」はすでに通商ルートとして機能していただろう。あるいは雲南からインドシナ経由という選択肢はなかったのだろうか。と、当時の情勢を何も知らずに適当なことを書いているが、戦争やヒマラヤや密林で、実用的ではなかったのだろう。かつて法顕も通ったおなじみのシルクロードルートのほうがずっと安全だったはずだ。ソグド人らの仏教ネットワークもあったようだし。

玄奘の旅については、ナーランダに着くまでに、数カ月単位であちこちに寄り道(?)をしているのも面白い。雪どけ待ちといった実用的な理由だけでなく、めったにお目にかかれないマハーチーナ(大支那)の僧侶ということで、国王に求められて滞在したり、講義をしたり、学んだり、けっこう人気者なのだ。こうした諸々の滞在期間を足していくと計算が合わないといったことも起こっている。

というわけで、興味の尽きない玄奘の旅程。これについて、もう1冊読み終わっているはずが、Amazonからの配送が遅延しており叶わないでいる。読めるのは明日になりそうだ。アベノマスクとどちらが先に届くか?

 

 

【本】『ガンダーラ 仏の不思議』(宮治昭)/『大唐西域記』とかウディヤーナのこととか

、全国民にマスク配布へ」とか「空母」とか、フランス関係のニュースの見出しを目にするたびに「ホトケが?」と微妙な気持ちになりますよね。なりませんか。そうですか。

さてNHKオンデマンドで昔のNHKスペシャル「文明の道」シリーズを見ていたら、ガンダーラの話が出てきた。釈迦の像が歴史上はじめてつくられたとされる地(のひとつ)で、現在のパキスタンペシャワールのあたりだ。と言われれば思い出すのだが、自分の中で、いまひとつ時間・空間の位置付けがあやふやだったので、復習してみることにした。そこでこれ。

正直どれを読んでいいのかわからなかったので、美術に偏りすぎず、ガンダーラ周辺のことをひととおり俯瞰できそうなのを買ってみたうちの1冊だ。アレクサンドリア大王の遠征があって、その後、バクトリアギリシア人が入ってきて、いろいろあった末、クシャーン朝のときに、ガンダーラが中心地になった。これが紀元1〜3世紀。そして、クシャーン朝のカニシカ王のころ、ギリシア風の仏像がつくられるようになった。釈迦本人が活躍したガンジス川沿いからは遠く離れた地で、しかも500年以上たった後で、釈迦の像がようやくつくられたのだ。大乗仏教への展開もガンダーラと深い関係があるようだ。といった一連の流れがスッキリ整理できた。

しかし、チベットの地名なら行ったことがなくても詳細に覚えているのに、あのへんの地名というのは、どうしてすぐ忘れてしまうのだろうか。もう30年前になるが、ペシャワールカラコルムハイウェイには行ったことがあるのに、だ。もっとも当時はたいして興味も知識もなかったので、パキスタンが仏教ゆかりの地というイメージがなく、インドからイスラム圏に入ったなあぐらいの認識しかなかった。有名な博物館等も完全にスルーしていた。大変後悔している。

さて、ガンダーラといえば、ある世代の日本人の頭の中では、テレビドラマ「西遊記」つながりで、(香取慎吾ではなく堺正章の)孫悟空夏目雅子ゴダイゴモンキーマジックといった言葉と一緒の引き出しに入っているのではないだろうか。番組の主題歌に「どこかにあるユートピア」「愛の国ガンダーラ」とかふんわりした歌詞がついていたので、本当にあった場所と思っていない人も多そうだ。「They say it was in india」という歌詞もあったので、古代インドの伝説だろう、とか。

もちろんガンダーラは実在した。実際、西遊記のモデルとなった玄奘三蔵法師)はそこを訪問している。ときに7世紀。ソンツェン・ガンポ王がチベットを統一し、唐の長安から文成公主をめとろうか、といった時代だ。玄奘が初めて訪れたわけではなく、5世紀に法顕、6世紀に宋雲という中国僧もガンダーラに入った。記録を残しているから名前が知られているだけで、他にも大勢いたのだろう。

玄奘の記した『大唐西域記』は幸い日本語で読むことができる。中央アジア西アジアの地名が全部漢字なので、とても違和感があるが、平凡社・中国古典文学大系の『大唐西域記』には詳細な解説がついているので、なんとかなる。ちなみにガンダーラは「健馱邏国」と記されている。玄奘が訪れた時には、仏教国としてのガンダーラはとおに最盛期を過ぎていた。仏教徒もおらず、かつて千以上あったとされる僧伽藍はすっかり朽ち果てていたそうである。

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こうしてガンダーラ諸行無常・盛者必衰をかみしめた後、古本独特の刺激臭で鼻水・涙が止まらなくなりながらも読み進めていくと、次の項に「烏仗那国」というのが出てきた。ウディヤーナである。おわかりの方には、おわかりかと思う。そう、チベット密教を伝えたグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ、↓の写真のお方)が生まれたとされる地だ(異説あり)。

ウディヤーナもガンダーラ同様「どこかにあるユートピア」感満載の場所だ。シャンバラ伝説と一緒くたになっている気もする。しかし、ウディヤーナはガンダーラ(今のペシャワール)の北側、今のスワート渓谷に実在した。ここもかつてガンダーラ地方の一部で、仏教遺跡がたくさん発見されている。玄奘の前に法顕も訪れている。

大唐西域記』によると、かつて1,400の伽藍があり、僧は18,000人いた。ただ玄奘が訪れたときには、ここもすでに荒廃していたという。「人の性質は臆病で人柄は嘘偽りが多い」そうである。何があったのだろうか。

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グル・リンポチェは8世紀後半の人のはずなので(とりあえずそういうことにしておくと)、法顕や玄奘とはまったく時代が違う。敦煌で著書が発見された新羅僧・慧超も訪れているが、8世紀初めなので、残念ながら早すぎる。ウディヤーナ方面でグル・リンポチェに会ったとか、噂を聞いたとかいう誰かの記録があればいいのに。

大唐西域記』は玄奘自ら記した見聞録であった。次に、弟子がまとめた伝記を読んでみることにする。

 

ゴダイゴ・グレイト・ベスト1 ~日本語バージョン~

ゴダイゴ・グレイト・ベスト1 ~日本語バージョン~

  • アーティスト:ゴダイゴ
  • 発売日: 1994/05/21
  • メディア: CD
 

 

【NETFLIX】「アジアに棲む危険生物72種」に「ヤク」が登場!

チベットの動物といえば、もちろんヤク!
こちらは2001年、西チベットにて。

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あまり危険という印象を持ったことがないが、NETFLIXオリジナル「アジアに棲む危険生物72種」に晴れてノミネートされている。タイトル通り、アジアの危険な生物72種を、なんと12回にもわたって紹介してくれるこの番組、内容は真面目なものの、ナレーションや吹き替えに相当クセがあるので、がんばって慣れてほしい。

ヤクが登場するのはシーズン1のエピソード10「大胆に、そして冷酷に」の回。

「危険生物として有名なラッセルクサリヘビ、モンガラカワハギ、マカク、ヤク、ヒョウモンダコ。戦いは互角だが、ラーテルも負けず劣らず危険度が高い。」

これがエピソード10の解説なのだが、ヤク以外、名前を聞いても絵が浮かばない。もちろんヘビやタコと実際に戦うわけでなく、どういう基準かよくわからないがランク付けされて、最終回で最強危険生物が発表される。それが何かはネタバレになるので書かないが、もちろんヤクはトップ10にも入っていない。

危険なヤクといえば野生のヤク(ドン)のことかと思いきや、この番組の中では、家畜のほうがむしろ危険と紹介されている。野生のヤクは人を避けるが、家畜は突然豹変して人を襲うからだ。たしかに角のある1トンの巨体が40kmで突進してくるのだから怖い。ずんぐりむっくりしているので騙されるが、実際、意外に俊敏なのだ。というか臆病なのかな。急に向きを変えて走り出したりする。

番組では大昔のモノクロフィルムから今のものまで、いろいろな勇ましいヤクの映像が紹介される。それだけ見ていると、なるほど、どう猛と言えないことはないかな。まあたまには機嫌の悪い時もあるよね。

解説要員として登場するNational Zoo and Aquariumのテンジン・プンツォク氏は(名前からしてたぶん)チベット人。オーストラリアの国立動物園のようだ。もう1人登場するのが、米モンタナ州で30年ヤクを育てているというローレンス・リチャード氏。いろんな人がいるものだ。

そして最後は…

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地球温暖化問題に落とし込まれて、なにやら悲しげなエンディングに…。このあと「そして遊牧民も同様です」と続いてさらに悲しくなったが、最後の最後で、ヤク飼育歴30年おじさんの「“ウシ界のベンツ”と私は呼んでいる」の言葉にほっこりさせてもらった☆

ので気になって調べてみた。モンタナ州のヤク牧場はこちら↓ Google Mapで上から見ると、なんだかヤクが点々と見える気がする!

www.yakzz.com

 

 

【本】『チベットーー祈りの色相、暮らしの色彩』(渡辺一枝)

NHKオンデマンドで昔のドキュメンタリーを見まくっている。で、いま、アレクサンドロス大王の番組を見ているのだが、ナレーションの「アレクサンドロス」にamazon echoが反応しまくっている外出自粛の夜。

さて、おなじみ渡辺一枝さん。昨年出版された『ツァンパで朝食を』もこちらで紹介した。

tibet.hatenablog.jp

そして今年出た『チベットーー祈りの色相、暮らしの色彩』。『ツァンパで朝食を』は30数年の集大成だったが、こちらはそのエッセンスといった感じだ。以前インスタにあげた書影がこちら(↓)。後ろに写っているのは昨年出た『世界の家族/家族の世界』(椎名誠)。同じ新日本出版社で判型も同じということで夫婦連作?

https://www.instagram.com/p/B8i3Z7SA5oA/

OSADA Yukiyasu’s Instagram post: “Now on sale! #Tibet #渡辺一枝さん”

チベットーー祈りの色相、暮らしの色彩』は書名の通り、チベットの文化、生活、信仰などなどにまつわる「色」があふれるフォトエッセイだ。

青空、白壁、草原、川、荒野、寺院、仏像、タルチョ(祈祷旗)……どんなシーンにも「チベットだなあ」と思える色がある。もちろん個別のアイテムで言えば、世界各国に同じようなものもあるだろうが、チベットの強烈な紫外線と、薄い空気のもとで見るとまた違ってくるのだ。とくに陰影。

むかしポジフィルムで撮った写真を見返してみると、空の色が濃すぎて、まあ単に撮影技術の問題なのだろうが、実は本当にそう見えたような気がしている、記憶の中では。例えばこれ。

https://www.instagram.com/p/BJVIEQbg6jF/

OSADA Yukiyasu on Instagram: “#Tibet #Changthang plateau #2001 #涼み用 ていうか #乾燥用”

正直、酸素が薄くて頭も相当まいっている状態なので、感覚も異常だったのだと思う。紫外線で目も痛めているし。でもこんな感じだった。何の話だ。そんなチベットの空気感が、本書で蘇ると言いたかった。そして、チベット人たちのなんだか安心している感じの表情、かまえていない、作為のない佇まいは、一枝さんに撮られているからだと思う。

本書におさめられたシーンの何割かは、ここ20年くらいのチベットの大きな変化のなかで、もう見られなくなっているはず。貴重な記録だ。

チベットーー祈りの色相、暮らしの色彩

チベットーー祈りの色相、暮らしの色彩

  • 作者:渡辺一枝
  • 発売日: 2020/02/14
  • メディア: 単行本
 
世界の家族 家族の世界

世界の家族 家族の世界

  • 作者:椎名 誠
  • 発売日: 2019/01/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

【本】『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』(小川真利枝)

10年にわたって引き裂かれることとなった、チベット人夫婦のドキュメンタリーだ。夫ドゥンドゥップ・ワンチェンが中国当局に逮捕された。妻ラモ・ツォは、異郷インドで唐突にその報を知る。なぜそんなことになったのか、夫が何をしていたのか、彼女は知らなかった。

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2008年、北京でオリンピックが開催された。中国は人権状況などの問題を改善することを約束して、招致に成功したようだ。もちろん何も改善されることはなく、逆に2008年3月にはチベット人による大規模な抗議行動を弾圧。その後、160人以上の焼身抗議を招くこととなった。

その五輪前の2007年10月から2008年3月にかけて、チベット各地で100人以上にインタビューを行い、チベット人たちが本音を語る姿を映像に収めたのがドゥンドゥップ・ワンチェンだ。映像は秘かに持ち出され、25分ほどのドキュメンタリー映画『Leaving Fear Behind』(チベット語で「ジグデル」、邦題「恐怖を乗り越えて」)として世界中で公開された。

↓これは英語版フルバージョン。日本でも、日本語字幕版の上映会が各地で開かれた。

vimeo.com

ドゥンドゥップ・ワンチェンと助手ジグメ・ギャツォは2008年3月に逮捕され、ドゥンドゥップ・ワンチェンは国家政権転覆扇動罪で懲役6年の実刑判決を受けた。

それから2017年のクリスマス、サンフランシスコで再会を果たすまでの間に、この家族に何が起こったのか? ↑の『Leaving Fear Behind』をちょっとだけ見て、ドゥンドゥップ・ワンチェンの人となりを感じた上で読んでいただけると、なおさら心に響くかも。英訳・中国語訳されたのかな。されるといいなと思う。