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ドキュメンタリー映画『ソナム』上映+チベット的トーク
日時:2015年1月17日(土)13:30〜16:00
場所:鎌倉恩寵教会(鎌倉市佐助1−9−3)
■映画『ソナム』上映(小川真利枝監督)
チベット本土から亡命した10歳の少年ソナムを描いたドキュメンタリー。
■トーク「チベットの今」
小川真利枝監督+中原一博さん(→中原さんのブログ「チベットNOW@ルンタ」)
■特別出演:テンジン・クンサン(元チベット伝統歌舞団員)
夕刻、キルティ寺の本堂前の中庭は、
エンジ色の僧衣をまとった僧侶たちで埋め尽くされていた。
早口のアムド語と手を打ち鳴らす音が響く。
僧侶たちはこれから仏教論理学の問答の試験に臨む。
ツェメー・ゴンチュー・チェンモ(冬季論理学大法会)が、このキルティ寺で行なわれるのは今回で2回目。仏教論理学の博士(ゲシェー)の学位試験は、伝統的にペーパーテストではなく、すべて口頭の問答で行なわれる。アムド地方各地から3000人とも言われる僧侶が集まった。
試験は日が落ちた後、夜通し朝まで行なわれる。その間、薄暗い本堂の中では読経が続く。
小坊主たちがお茶や食事の準備に走り回り、木の棒を携えた巨体の見張り僧が、堂内にぎゅうぎゅう詰めになった巡礼者たちを「もっと後ろに下がれ!」と蹴飛ばす。
本堂の屋根は色とりどりの電球で彩られているが、その光は弱々しい。
中に入れない巡礼者たちは、寺の周囲の巡礼路をひたすら回り続ける。
真っ暗な中、朝まで。
「3月までは何も起こらないだろう」
ある僧侶がそう言った。嵐の前の静けさの中で行なわれたこの試験には、6人が合格したそうである。
ンガバはキルティ寺(キルティ・ゴンパ)の門前町。
まずは寺にお参りに行くのが礼儀というものだ。
昨年3月以降かなりひどいことが起こった場所でもある。
それを承知のチベット人に連れて行ってもらう。
と、門前には、いきなり公安の建物があった。
なんてわかりやすいんだろう。
町を巡回している武装警察のトラックは、
普段はここに駐車している。
さすがに写真もブレブレになる。
VCD屋のスピーカーから、けたたましいインド音楽が流れている。
なんだか滑稽なこの建物と武警以外は、
普通のチベット色豊かな商店街なんだけど。
大僧院キルティ・ゴンパには2000人ほどの僧侶がいる。
まずは、でかいチョルテン(仏塔)が目をひく。
ある転生ラマの部屋にお邪魔した。
インドにいる座主キルティ・リンポチェの若い頃の写真が掲げられている。
おいしそうな茹で肉がたっぷり目の前にあったのに、腹の具合が悪くて遠慮せざるをえなかったのが残念だ。
それでもバター茶はいただいた。
僧坊でのんびりしすぎたものだから時間が遅くなり、だいぶ風が出てきた。
これから巡礼者が続々とゴンパに集まってくる。
たまたまなのだが、その日は特別な日だった。
境内でただすれ違っただけの、知らない老僧が言った。
「あとで部屋に来い。茶を飲んでいけ。話をしよう!」
一見、邪魔する者などいない、
いつものチベット人たちの世界が、そこにあった。
「夏また来い。なんでこんな時に来たんだ?」
ンガバのチベット人に何度も言われた。
たしかに以前、秋に来たときには、一面麦畑が広がっていて美しかった。今は2月。風景は一面茶色で、午後になると強い風が吹いて寒々としている。夏はきっと緑の草原が広がり、花が咲き、麦畑も青々としているのだろう。
いや、そのことを言ったわけではないかもしれない。この町で僧侶が焼身自殺を図ったことを知っている今となっては、深読みせざるをえない。町で一番豪華な、ニェンポユルツェという聖山の名を冠したホテルは、中国人兵士たちの宿となっており、外国人は宿泊できなかった。
ンガバ(Ngaba)は、西端にあるキルティ・ゴンパ(格爾登寺)の門前町である。ときどきメインストリートを、兵士を積んだ武装警察のトラックがゆっくり巡回している。中国のどこかからやってきた兵士たち。焼身自殺しようとした僧侶を射った(とされている)のも、こうした白い顔をした若い兵士だったのか。
もうみんな慣れっこになっているのか、街中は意外なほどにぎやかで、穏やかそうに見えた。腹の具合が悪かったので、市場に果物を買いに行くと、バナナはもちろん、パイナップルやマンゴーも売っていた。市場に連れて行ってくれたチベット人が言った。
「ここで商売してるのは全員中国人だ」
マルカム(バルカム、中国語で馬爾康)はアバ州の州都。大都会だが、意外にチベット服を着ている人も多い。町の中心部から少し離れると、山の斜面の高台に石造りのチベット人の集落が広がっている。
町から10kmほど東にチョクツェ(卓克基、チベット語で“机”という意味)というエリアがある。8世紀にチベットのティソン・デツェン王に迫害されたヴァイロツァナ師が流された地、というのはおいといて、今、丘の上にそびえるのは「土司官寨」。「土司」という中国語は、少数民族の土着の支配者のことだそうだが、チベット語の説明文に「ギャルポ」(王様、殿様)と書いてあったので、ここは殿と呼んでおく。要は、ツォクチェの殿様のお屋敷、お城である。向かいの丘の斜面には石造りのチベット人の民家が立ち並ぶ。
城は5階建て。外側は堅牢な石造りだが、内側は木造だ。この城はなんと7世紀からここにあるそうだが、もちろん何度も建て直されている。1階から5階まで内部はすべてギャロン・チベット人の文化を紹介する博物館として公開中。一番上は宗教のフロアになっていて、チベット仏教各宗派とボン教の仏像や仏具が、いかにも博物館的に展示されていた。
毛沢東や周恩来が「長征」とかいうご苦労様な行軍の途中ここに滞在したそうで、2階のワンフロアまるごと費やしてあれこれ展示してあった。殿様たちの豪華な部屋に比べて、これみよがしに質素を強調してあるよな、と、何を見ても悪意にしか感じられないのが哀しい。殿は最初、国民党派だったが、最終的には共産党体制に馴染んで、後にアバ州の副知事だったかになったそうだ。
さて、次はいよいよンガバへ向かう。幹線道路沿いの刷経寺という町で食べた中華料理の油が気持ち悪く、その後たぶんそのせいでずっと腹の具合が悪かった。ンガバは標高3200mという低地だからと油断していたら、思いっきり高地適応に失敗して、飯は食えないは頭は痛いはという状態に陥った。情けない。