チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

チベット・アムド地方ンガバ(Ngawa)小紀行(4)ツォクチェ王の城

マルカム(バルカム、中国語で馬爾康)はアバ州の州都。大都会だが、意外にチベット服を着ている人も多い。町の中心部から少し離れると、山の斜面の高台に石造りのチベット人の集落が広がっている。

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町から10kmほど東にチョクツェ(卓克基、チベット語で“机”という意味)というエリアがある。8世紀にチベットのティソン・デツェン王に迫害されたヴァイロツァナ師が流された地、というのはおいといて、今、丘の上にそびえるのは「土司官寨」。「土司」という中国語は、少数民族の土着の支配者のことだそうだが、チベット語の説明文に「ギャルポ」(王様、殿様)と書いてあったので、ここは殿と呼んでおく。要は、ツォクチェの殿様のお屋敷、お城である。向かいの丘の斜面には石造りのチベット人の民家が立ち並ぶ。

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城は5階建て。外側は堅牢な石造りだが、内側は木造だ。この城はなんと7世紀からここにあるそうだが、もちろん何度も建て直されている。1階から5階まで内部はすべてギャロン・チベット人の文化を紹介する博物館として公開中。一番上は宗教のフロアになっていて、チベット仏教各宗派とボン教の仏像や仏具が、いかにも博物館的に展示されていた。

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毛沢東周恩来が「長征」とかいうご苦労様な行軍の途中ここに滞在したそうで、2階のワンフロアまるごと費やしてあれこれ展示してあった。殿様たちの豪華な部屋に比べて、これみよがしに質素を強調してあるよな、と、何を見ても悪意にしか感じられないのが哀しい。殿は最初、国民党派だったが、最終的には共産党体制に馴染んで、後にアバ州の副知事だったかになったそうだ。

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さて、次はいよいよンガバへ向かう。幹線道路沿いの刷経寺という町で食べた中華料理の油が気持ち悪く、その後たぶんそのせいでずっと腹の具合が悪かった。ンガバは標高3200mという低地だからと油断していたら、思いっきり高地適応に失敗して、飯は食えないは頭は痛いはという状態に陥った。情けない。