チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

【チベット紀行】1997年と2001年のカム地方タウ(小さな村編)

インスタにアップした写真に解説をつけていこうのコーナー、前回のカム地方タウ(お寺編)に続いて、今回は「村」だ。日本に住んでいるチベット人の(会ったこともない)親族を訪ねてタウに赴き、ニンツォ寺に行ってみたら、案の定、家を知っている坊さんに会えたというのが前回までのあらすじ。さっそく連れて行ってもらった。

タウの町はニャクチュという川沿いに広がっているのだが、目指す村は対岸にある。橋を渡って、上流側に2つ目の村。このあたりは豊かな農村といった趣だ。海抜も3,000mくらいしかなくて気候は温暖。リンゴの産地として有名らしく、折しも秋ということで、あちこちで困ってしまうぐらいリンゴをいただいた。

目指す親戚の家に到着。この写真はまだアップしていなかった。村の中でもちょっと高台にあり、ひときわ格好良い。典型的なカム風の民家だ。

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外側は冷たい風から守ってくれる頑丈な石づくり。内側は太い材木をふんだんに使った木造だ。1階はほぼ納屋になっていて、中庭を取り囲むように、2階に立派な仏間、リビング、ベッドルームなどがある。まわりの森林は伐採されまくって禿山になってしまっているが、この家の裏山だけは比較的、緑が残っており、特別な名家といった気配も漂う。実際その通りなのだが。

1997年、最初に訪ねて行ったときにいたのは、子ども2人。あと、おじさんも1人いた。いきなり訪ねてこられて困ったと思うが、とりあえず、お茶やパンを出していただいた。前回も書いたように、タウの言葉は、カンゼ・デルゲのカム・チベット語とはまったく違い、方言の域を超えていて、よくわからない。が、やがて、ラサ語や漢語を解する親戚たちも集まってきて、家系図づくりなんかを楽しむこともできた。タウの町で雑貨屋をやっていたり、銀行の偉いさんだったり、みなさん各方面で活躍中のようだ。

https://www.instagram.com/p/BN10dfwgqws/

A #Tibetan girl at a small village in Kham Tawu (Ch: Daofu, Sichuan),Eastern #Tibet in 1997

https://www.instagram.com/p/Bv6ij-4A-sl/

In Kube village, Kham Tawu, Eastern #Tibet in 1997 summer

あれ、男の子の写真はアップしてなかったかな。今度がんばって見つけておきますね。このときから20年以上、もう結婚して子どもがいたりするんだろうな。2001年にも再訪しているが、村はあまり変わってなかった気がする。町にはネットカフェができ、お金持ちは携帯電話をもってたりしてたけど。

これは現地の公安さんに教えてもらったのだが、タウにはこんな言い伝えがあるそうだ。昔むかし、東へ東へと向かったタウ人が、日本にたどり着き、村をつくって住んでいる、と。事実、日本に住んでいる数少ないチベット人の中にタウ人がいるわけで、ある意味、当たっていないでもない。徐福伝説のバリエーションだろうが、まさかタウで聞くとは思わなかった。まあ、欧米にはもっとたくさん住んでいるわけだが。たいてい名前に「Towo」と付いている。

そういえば、この家で一番偉いおばあちゃん(その甥っ子が日本在住という続柄だ)が、遠いところから大変だったねえ、といった感じで、おこづかいを50元くれたっけ。なんて当時の情景が、徐々に思い出されてきた。

タウではいろいろな人に会い、あちこちウロウロしていたので、後々ラサでも「お前、タウにいただろ」と、愉快なタウ人たちに声をかけられ、楽しい経験をさせてもらったりした。あと、タウは温泉で有名なのだが、いいところで捕まったりして、楽しむ機会がなかった。チベットには温泉が多く、何カ所かで入っているのだが、これだけ縁の深いタウでは入り損ねてしまった。とても心残りだ。