チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

【チベット紀行】1987年のラサの空港の近く(懐)

インスタにアップした写真に解説をつけていこうのコーナー、引き続き。今回はこちら。

https://www.instagram.com/p/BMsh5lsgCt3/

#Tibetan kids in Gongkar village near #Lhasa airport in 1987 (my firstvisit to Lhasa)

なんと30年以上前…。場所はラサの空港のあるコンカル。とてもここに空港があるように見えない、のどかな村だったんだけど、今は立派な街になっている。当時の滑走路はこんな感じ。

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1987年は、ラサに初めて行った年。この春に、ネパール側から国境近くのダムとニャナンだけ行ったのに続き、本格的に本土デビューとなった。香港から陸路で広州に入り、鉄道で蘭州、西寧を経て、バスでゴルムドからラサへ、という一般的なルート。とくにチベットに行こうと思っていたわけではなく、一緒にいた香港人グループについて行ったらそうなったというだけだった。

ラサはまあ一通り見て、宿はキレーのドミだった。ラサで過ごしたのは1週間ぐらいかな。で、帰りは空路で成都に下りようと思っていたら、問題発生。

当時、ラサから成都への朝の便に乗るには、前日の夕方、ラサの街からコンカルに行き、空港ホテルで1泊する必要があった。ラサの街とコンカルを結ぶ、わずか100kmの道が超悪く、雨でも降ろうものなら、何時間もかかったからだ。今は30分くらい?

で、何が問題かというと、天候が悪くて飛行機が飛ばなかったのだ。そもそも成都から飛んでこないと機材がないし、いったん飛んできたら最後、なかなか脱出できないという罠。前日か、もっと前の日から欠航が続いており、飛べない人がどんどんたまっていた。私がコンカルに着いた後も3〜4日飛ばず、ひたすら空港の質素なホテルに泊まって、のどかなコンカル周辺で過ごすはめになった。こんな感じ。

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暇だからといって、ラサの街に帰るわけにはいかない。道路事情が悪いと、往復するだけで丸1日かかる。急に気が変わって飛ぶとかいうかもしれないし、いざチェックインとなれば、全然並ばない中国人が殺到するカウンターで早い者勝ちの戦いが待っている。時々カウンターやオフィスに行って様子を伺いながら、ずっと待っているしかなかった。

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上の黒板は、無人になった昼間の空港カウンターに掲げられた「今日は終日無飛行」の告知。何日も待っている欧米人たちが日替わりで落書きしていた。ホテルは4人部屋で、陽気なスペイン人グループと一緒だったかな、たしか。

そんな暇で暇でしかたない中、近所をうろうろしているときに出会ったのが、近所の農家の子どもたち。下のような写真が残っているので、最初は川の対岸にいたのかな。たぶん外国人たちにお菓子をもらいに来たんだと思う。

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コンカルに行ったのは、2007年が最後だが、その時点ですでに開発が相当進んでいて、この場所がどこなのか特定が難しくなっていた。この子たちが幸せになっているといいなと思う。まるごと立ち退きになっていなければ、探せば1人ぐらいは見つかるんじゃないかな。

今回の写真はすべて、ネガフィルムを専門の業者さんに依頼してスキャンしたもの。ちょっと色が黄身がかってますね、修正してません、すみません。カメラはたしかCanonのAV-1というのを借りて持っていった記憶が。ちゃんとフィルムが装填されてなくて、デプン寺で撮ったはずの1本まるごと失敗、というのも、今となってはフィルムカメラ時代の懐かしい思い出…。