チベット式

チベットの今、そして深層 by 長田幸康(www.tibet.to)

【2008年チベット動乱】目撃者の証言集(2)

前回エントリー(目撃者による証言)に続いて、同じくRadio Free Asiaのサイトにある“Update on Tibet”の5月5日分までの全訳です。
Update on Tibet(Radio Free Asia)
↑このページは逐次更新されていくかもしれません。

 

チベット現地から話を聞いた亡命チベット人の証言が中心です。
記事は新しい順に並んでいます。見出しは勝手に付けました。
急いで訳しているので、細かいところでミスがあるかもしれません。
だいたい合ってると思いますが、あやしそうだったら原文を参照して下さい。
地名についてはチベット語・中国語の併記はしませんでした(原文でも統一されていません)


チベット内部の人々とのコミュニケーションがますます困難になる中、親族や友人との携帯電話を通じた会話や伝聞情報が、今起こっていることを伝えている。以下、報復を避けるための安全上の理由から、匿名にした部分もある。(5月5日更新)

 

■僧侶が射殺され、家族7人が拘束された(5月2日)

 

4月28日、ゴロク(果洛チベット族自治州のホンコル寺のチュトゥプが中国の治安部隊に射殺されました。彼は初期の抗議行動に関わって、潜伏していました。4月の終わり、食べ物を取りに帰宅していたところ、警官が家を取り囲んで彼を殺害しました。

 

5月4日、彼の母親ワンドルも撃たれて2カ所の銃創を負ったことを知りました。家族のうち両親、姉妹1人、兄弟3人、そして転生ラマ1人が拘束されました。

 

残されたのは年の若い2人だけです。チュトゥプの父親は手錠をされて連行され、息子の遺体と対面しました。家族の財産はすべて政府が没収すると、当局が通告してきました。

 

(2008年5月2日、チベット内の知人の言葉を伝えるインド在住チベット人より)

 

 

■デモ参加者をかくまった僧侶も同罪で拘束(5月3日)

 

26歳〜30歳位のクンチョク・トンドゥプが最近ラサで拘束されました。チャムド地区マルカム県タイ出身です。タシ・ギャルツェン、チュトゥプ・ノルブという2人の僧侶も一緒に拘束されました。中国当局は地元の新聞とテレビで、クンチョク・トンドゥプの逮捕につながる情報の提供者には2万2000元の賞金を提供すると告知していました。

 

彼はラサの3月のデモや騒乱で積極的に活動していた嫌疑がかけられ、長い間、行方がわかりませんでした。しかし、4月終わり頃、ラサのラモチェ寺ギュトゥ学堂の僧坊で拘束されました。共に拘束されたタシ・ギャルツェン、チュトゥプ・ノルブの僧坊です。2人はクンチョク・トンドゥプをかくまったため、同じ罪が課せられるでしょう。

 

(2008年5月3日、チベット内の知人の言葉を伝える、ウィスコンシンチベット人より)

 

 

■鉄道で装甲車や戦車が到着しました(5月1日)

 

高地でも燃えるオリンピックの聖火の第2弾が、エベレストの頂上に運ばれようとしています。安全を確保するため、ダム[訳注・中国とネパールの国境の町]の友誼橋周辺にすでに駐屯している2部隊に、さらに3部隊[原文注・人民解放軍または人民武装警察いずれかを指すと思われる]が加わりました。シガツェとディンリの間にはさらに5〜6部隊が配置されています。大雑把に言って、この地域には、50メートルに1人は兵士がいることになります。中国軍や警察などから退役したチベット人が多いディンリ地域では、警戒はさらに厳重だそうです。聖火がディンリを通過する際、いかなる抗議行動も制止しようという締め付けです。さらに悪いことに、中国の圧力によって、中国兵がエベレストのネパール側への入域を許されているのです。

 

ラサでは、締め付けは文化大革命のとき並みです。こうした状態になったのは1週間前でした。家を訪ねて来た者は全員ラサ市委員会に報告しなければなりません。当局者が一軒一軒家々を回り、居留許可証をチェックしています。ラサで生まれ育ったチベット人しかこの居留証を持つ資格はありません。許可証のないチベット人は連行され、理由を問わず拘束されます。不幸なことに、中国人にはこうした許可証は必要ないのです。これらはすべて、聖火がポタラ宮の前をパレードする際に不都合な事件が起こるのを避けるための予防措置です。

 

ラサ以外のチベット人が仕事や行商に来る場合、受け入れる者が、関係性や連絡先、滞在期間といった詳細を報告して身元を保証せねばなりません。[ラサ以外から来る]チベット人は10日以上滞在できません。巡礼のため滞在することは許されませんし、聖地はすべて閉鎖されています。1家族から1人だけ、ポタラ宮前の聖火の儀式の見物を許されるのだそうです。

 

ラサでの聖火リレーは4日から10日遅れると発表がありました。公式な理由はエベレスト周辺の天候不順ですが、本当の理由は軍[原文注・解放軍なのか武装警察なのかは定かではない]による準備が不完全だからだろう、と信頼できる筋から聞きました。こうした大規模な軍の存在を隠すため、彼らは青や赤の帽子と非戦闘員の制服をまとっています。中国はまた、チベット西北部ンガリ地方での、ウイグル人イスラム教徒とチベット人の共謀の可能性も懸念しています。ラサをはじめ聖火が通過する地域には数千人の正規軍が配置されています。

 

中国から到着した列車には2晩連続して装甲車や戦車が積まれていました。デプン寺の麓は兵士でぎっしりです。共産党員のチベット人は、厳格な政治教育を強いられています。こうした講習には政府職員のふりをした中国人治安要員が参加しています。彼らの本当の狙いはチベット人幹部の忠誠度を秘かに監視することなのです。

 

(2008年5月1日、チベット内の知人の言葉を伝えるヨーロッパ在住のチベット人より。彼は元中国政府職員であった)

 

 

※この後、原文には「2008年4月23日、カンゼからの電話」があるが、前の証言集とまったく同じものなので省略します

 

 

成都で留置され、暴行・拷問を受けました(4月11日)

 

3月13日か14日、アムド地方ゾッゲのシャメ地域[四川省]のチベット人40人が、理由もわからないままラサで拘束されました。彼らは確かに騒乱中にラサにいましたが、抗議行動には参加していません。にもかかわらず2日間拘束されました。彼らは僧侶17人を含む、下は7歳位から上は80代までのグループで、巡礼のためラサを訪れていました。

 

ラサで拘束された時、ソナム・リンチェンという男性が中国人警官に殴られました。後に彼は連れ去られ、以来、誰にも行方はわかりません。残った僧侶17人を含む39人は四川省成都に連行され、1カ月近く留置されました。

 

4月10日、僧侶以外の22人が釈放されました。僧侶17人はまだ拘束されたままです。釈放された者からは、数多くの暴行や拷問についての体験が聞かれます。彼らは果物とお湯しか与えられませんでした。

 

(2008年4月11日、アムド・ゾッゲのシャメ地域の知人の言葉を伝えるインド在住の僧侶より)

 

 

■彼らはダライ・ラマの写真を踏みつけました(3月31日)

 

ンガバ(アバ)県にはアムド・ンガバ仏教論理学院という施設があります。3月30日、この学院の多くの僧侶が拘束され連れ去られたと聞きました。その地域では一般のチベット人も大勢逮捕されました。同じ県内にゴマン寺があり、この寺だけで16人の僧侶が拘束されました。大勢の警官が寺にやって来て、僧坊も含めてくまなく捜索しました。

 

アムド・アトブ寺も捜索を受けました。僧侶17人が拘束されて連行され、その行方は誰にもわかりません。ゾッゲ県のタクツァン・ラモ・キルティ寺にも大勢の私服治安要員や警官がやって来て、僧侶17人を拘束し、現地の拘置所に投獄しました。

 

現在のような厳戒状態では、僧侶も一般のチベット人も、医師の手当が必要でも受けようとしません。平時でさえ医療施設は貴重なのです。弾圧で負傷した人々は、手当を受けに行くことを恐れています。食料不足も深刻です。チベット人は、生活必需品を買いに外出することも許されません。

 

3月29日には、キルティ寺から500人以上の僧侶が連れ去られました。数百の武装警官が僧坊など、僧院内を捜索しました。彼らはダライ・ラマの写真を何枚か見つけると、それを叩き壊して、足で踏みつけました。一般のチベット人も大勢捕まりました。30人ほどのチベット人が警察のトラックに載せられて町中でさらし者になっていました。

 

(2008年3月31日、チベット内の知人の言葉を伝えるインド在住のチベット人より)

 

 

■報道ツアーに選ばれたメディアとは(3月27日)

 

[木曜日にラサに報道陣が入れる]という発表を聞いてから、外交部や国務院から必死で情報を得ようとしました。彼らによると、入域できるのはごく限られた人数で、かなりの狭き門とのことでした。主だったテレビ局は選ばれませんでした。例外は、現場でのレポート抜きのビデオ撮影のみのAP通信、そしてアルジャジーラアラビア語サービス。同じアルジャジーラでも英語サービスは招待されませんでした。この選択には特定の意図があると考えるのが自然でしょう。[訪問中の]今日、抗議行動がありました。次回の報道ツアーは難しいと思います。

 

(2008年3月27日、欧米のテレビ局の仕事をしている北京在住のジャーナリスト)

 

 

■僧侶300人が抗議行動(3月26日)

 

3月25日、テホル・ダンゴ寺[訳注・四川省カンゼ州炉霍県]の僧侶たちが立ち上がり、抗議行動を起こそうと計画していましたが、当初は先頭に立つ者がいませんでした。その後、カンゼ地域の弾圧で殺された人々のための特別法要の最中、彼らは抗議行動を進めることを決断しました。

 

約300人の僧侶が袈裟をまとい、ダライ・ラマの写真を掲げ、寺からほど近いダンゴ県中心部に向かって平和的な行進を行ないました。主にチベット人からなる地元の警官隊が僧侶たちに対し、行進を止めて寺に戻るよう警告しましたが、僧侶らは警官に向かって野次を飛ばし、中国政府のために働くなんて恥を知れ、などと叫びました。その時、中国人警官が銃を構えましたが、チベット人警官らが説得して下ろさせました。

 

こうした緊迫した状況の中、チベット人警官は僧侶らが町の中心部に向かうことを容認したのです。僧侶らは「ダライ・ラマ万歳」「ダライ・ラマチベット帰国を認めよ」「パンチェン・ラマを釈放せよ」「チベット人に宗教の自由と人権を」といったスローガンを叫びました。町の中心部では他のチベット人たちも合流しました。そのとき武装警察が到着し、僧侶らを排除しようとしましたが、お互いに引き離されないようスクラムを組んで踏みとどまりました。

 

その後、僧侶らは寺に向かって行進し、抗議行動を続けました。発砲されましたが、僧侶らは地面に伏せて銃弾をかわし、暴力では応じないと宣言しました。中には、寺に戻る途中で中国政府の車両を壊した者もいましたが。

 

寺は今、人民武装警察に包囲され、すべての僧侶は立ち去るよう命令されています。

 

(2008年3月26日、インド在住のチベット人による)

 

 

■「電話1本で、とどめを刺せる」(3月24日)

 

アムド地方のチャプチャ地域[青海省海南チベット族州共和県]に、アツォ寺という小さな僧院があります。私はその寺の僧侶です。

 

3月22日の午前11時15分頃、僧侶たちが抗議行動を始めました。チベット国旗を掲げ、寺の裏の丘の上に集まって香を焚きました。「チベットに自由を」「ダライ・ラマ万歳」「パンチェン・ラマ釈放」といったスローガンを叫びました。

 

寺には100人ほどの僧侶がいます。

 

寺の周囲での抗議行動の後、さほど遠くない町の中心部に向かいました。そして、地元政府の学校で中国国旗を降ろして燃やしました。それから寺に戻って抗議行動を続けていると、警官を満載したトラック3台が到着し、そのリーダーが「これ以上続けると“重大な事態”になる」と脅しをかけてきました。彼は「電話1本で、とどめを刺せるんだ」と言いました。

 

僧侶らはこう叫びました。「これ以上、中国の抑圧に耐えることはできない。命を犠牲にする覚悟はできている」。その後、僧院長と若い高僧のとりなしで、僧侶らは平静になりました。

 

今のところ、この地域では逮捕や発砲といった事件は起きていません。

 

地元の一般人も集まって、僧侶らに加勢しようとしましたが、中国人に阻まれました。

 

(2008年3月24日、チベット内の知人の言葉を伝える、インドのデプン寺の僧侶)

 

 

■僧侶1000人以上が抗議行動(3月28日)

 

3月18日、サンチュ[甘粛省甘南チベット族自治州夏河県]で1000人以上の僧侶が抗議行動を起こしました。

 

ダライ・ラマ万歳」「チベットに自由を」「パンチェン・ラマ釈放」といったスローガンを叫びながら町の中心部に向かって行進しました。彼らはまた、中国指導部に対し、ダライ・ラマとの対話を始め、ダライ・ラマチベット訪問を認めるよう求めました。

 

彼らは地元の政府の学校に向かい、中国国旗を降ろして、代わりにチベット国旗を掲げました。その日、治安部隊はまったく現れませんでした。

 

しかし、3月21日午後7時頃、武装した治安部隊が寺に到着し、僧侶4人と俗人3人を拘束しました。

 

別の寺で4人の僧侶が拘束され、最終的に20人以上のチベット人が拘束されました。中には、読経していた十代の僧侶も数人いました。

 

今のところ彼らは無事です。拘束されているのは、タルギェル(43歳)、チューペル(42歳)、ケルサン・テンジン(40歳)、ジャムヤン(32歳)、サンギェ・ギャツォ(13歳)、タシ・ギャツォ(14歳)、ケルサン・ソナム(16歳)、ケルサン・トンドゥプ(17歳)、ケルサン・テンジン(16歳)、チュートゥプ(30歳)、ダムチュ(29歳)。別の寺で拘束されたのは、テンジン(27歳)、テンパ・ギャツォ(37歳)、ゾパ(年齢不明)、ケルサン・シェラプ(19歳)。

 

(2008年3月28日、チベット内の知人の言葉を伝える、インドのデプン寺の僧侶)

 

 

■僧院の食料不足が深刻です(3月23日)

 

3月23日、アムド地方ンガバ地域のチベット人たちは、上空を非常に低く飛ぶヘリコプターを目撃しました。

 

チベット人たちを脅かすつもりなのでしょう。これまでンガバ上空をヘリが飛ぶようなことはありませんでした。今、寺院やチベット人の住む地域の上を飛んで、チベット人たちを怖がらせています。

 

2日前の3月21日、地元の中国人指導者たちがキルティ寺に入り、僧侶への再教育講習を指導しました。その間、彼らはダライ・ラマ否定を強要はしませんでした。その代わり、僧侶らに対し、抗議行動は間違っており“役に立たない”のだと説得しようとしました。

 

キルティ寺に閉じ込められている僧侶に食べ物を届けようとしたチベット人がいましたが、治安部隊に制止されました。僧院の中の食料不足は深刻です。ンガバ県中心部に向かう大通りは人民武装警察によってブロックされています。僧侶も一般人も食料不足に陥っており、もし自暴自棄になれば再び蜂起する可能性もあります。

 

中国当局は、抗議行動に関わった人物についての情報を通報するよう誘惑しています。最初の通報にはいくらでも好きなだけ、2番手には5000元の報奨金が与えられるなどと言っています。

 

多くの一般のチベット人が拘束されています。平均して1家族につき1人は連行され、拘束されて尋問されています。中国当局は写真を見せて、写っているのは誰なのか特定しようとしています。

 

(2008年3月23日、チベット内の知人の言葉を伝える、インド・ダラムサラのキルティ寺分院の僧侶より)

 

 

■一家に1人が拘束されている(3月23日)

 

3月14日と15日のペンポ[ラサの北方]でのデモによって、5人の僧侶が拘束されました。

 

その後、ペンポ・ガンデン・チューコル寺などの僧侶・尼僧および一般人3000人以上がデモに加わり、拘束された者たちの釈放を求めました。

 

デモと弾圧の中で、チベット人の若者1人が殺されました。原因はわかっていません。

 

今、ガンデン・チューコル寺は中国の治安部隊に包囲されています。本来90人僧侶がいますが、老僧3人を除いて、すべて捕まって連れ去られました。同時に、160人のチベット人が拘束されていることが確認されています。総数はもっと多いのでしょう。

 

私が聞いた話では、1家族につき1人は連行されています。外部に電話して話したりすれば“深刻な事態”になると脅かされています。だから、彼らは詳しい話をするのを恐れているのです。

 

(2008年3月23日、チベット内の知人の言葉を伝える、ペンポ出身の亡命チベット人

  

消されゆくチベット (集英社新書)

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