【ネパール地震 小額支援】私のLINEスタンプの売り上げ全額寄付に回します。(本人受け取り分の)50%はチベット難民の老人ホームに 50%はアニマル・ネパールの動物支援に「ばなねこ」http://t.co/w5ksJvQc7c「でか顔」http://t.co/2cvPpxc0UE
— ばな猫 (@bananeko) 2015, 5月 2
こんな感じ。
LINE使ってる方は是非〜☆
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チベットの現代文学が続々と邦訳されている。
その最新刊がこれ。タクプンジャ氏の小説集だ。
「実験的な手法」とか言われると身構えてしまうが、
短編が多いので、挫折しても次に行けば大丈夫(笑)。
といっても、普通に小説を読んでいる人であれば、
挫折なしに楽しめると思う。訳文もこなれていて、とても読みやすい。
チベットの文学というと、仏教絡み?とも思えるが、
冒頭の表題作「ハバ犬を育てる話」からその予想は裏切られる。
主人公はお役所勤め。
あたりまえだが、現代に生きるチベット人には、
日本人とたいして変わらぬ社会での営みがあり、
上司と部下、家庭、ご近所、男女などなど複雑多様な人間関係がある。
そんな中で、ペットの犬と飼い主の話が普通に進んでいくかと思いきや……。
読んでいくうちに、ある日本の作家を連想したが、
ネタバレになりそうなので、詳しくは書かない。
乞うご期待♪
この不条理なやりとりは何を象徴しているのか?
なんて多民族混住のチベット・アムド地方ならではの事情を
勝手に深読みすることもできるが、
チベット抜きでも、「人」の描き方には引き込まれるはずだ。
むしろチベットについて先入観をもたない人の感想を聞きたいと思う。
最後に、最近日本で刊行されたチベット文学は、こんな感じ。
こちらも是非どうぞ☆
チベット現代文学の曙 ここにも激しく躍動する生きた心臓がある
ついに出た待望の1冊。
著者が1991年以降、20年以上にわたって東チベット各地に通い、
現地調査を続けてきた集大成だ。
東チベットの宗教空間: 中国共産党の宗教政策と社会変容 (現代宗教文化研究叢書)
これまで雑誌『火鍋子』の連載等でその一部を読むことはできたが、
こうしてまとまってみると、やはり圧巻。
ラルン、ヤチェンをはじめ、私個人的にもお気に入り地のことばかりなので、
色々と思い出して調べたくなってしまい(笑)、
なかなか読み進められないありさまだ。
というわけで、ここに書くのが遅くなってしまった。
私自身はただ現地に行って適当に歩き回るぐらいしかできなかったので、
こうして1930年代からの歴史と、漢族地域や海外華人社会までも含めた広がり、
さらに2008年動乱と焼身抗議といった今に続く激動の時代を、
体系的に俯瞰できる本書を読むことで、自分の旅の記憶を再編集できる。
という、なんとも面白い体験をさせてもらっている。
私が現地に行った時期はジグメ・プンツォク師もアチュウ師も存命中であり、
両カリスマなき後の経過は実はあまりフォローできていない。
何かこう、気が抜けた感じで。
先日、テンジン・ギャツォ師が訪日していたようだが、
正直あまりピンときていなかった。
本書によれば、ケンポ・ソダジ師が今後のキーパーソンのようだ。
そのへんも含めて自分の情報をアップデートしていこうと思う。
この方ですね。ケンポ・ソナム・タルゲ。
མཁན་པོ་བསོད་ནམས་དར་རྒྱས་ - Wikipedia
これまで東チベットものでは、
『The Cultural Monuments of Tibet's Outer Provinces』(Andreas Gruschke)の、
四川カム編はいつ出るんだー、というのだけを心待ちにしていたが、
本書を読みながら出典を追うだけでしばらく東チベット世界に耽溺できそうだ。
最後まで自分のことばかり書くが、
本書を読んで現地を再訪するのもまた楽しそうであるし、
著者が書くように、東チベットにまだ眠っている「原石」を探すのもありだ。
堅い話題を扱っているにもかかわらず、旅心をそそられる1冊だった。
インド・ダラムサラで30年以上暮らした後、佐世保に帰郷。
チベット伝統のタンカ(仏画)絵師として活躍している馬場崎研二さんの個展が開催されています。
3月1日まで!
詳しくは↓
http://www.deepdan.com/feature-works.html
夕刻、キルティ寺の本堂前の中庭は、
エンジ色の僧衣をまとった僧侶たちで埋め尽くされていた。
早口のアムド語と手を打ち鳴らす音が響く。
僧侶たちはこれから仏教論理学の問答の試験に臨む。
ツェメー・ゴンチュー・チェンモ(冬季論理学大法会)が、このキルティ寺で行なわれるのは今回で2回目。仏教論理学の博士(ゲシェー)の学位試験は、伝統的にペーパーテストではなく、すべて口頭の問答で行なわれる。アムド地方各地から3000人とも言われる僧侶が集まった。
試験は日が落ちた後、夜通し朝まで行なわれる。その間、薄暗い本堂の中では読経が続く。
小坊主たちがお茶や食事の準備に走り回り、木の棒を携えた巨体の見張り僧が、堂内にぎゅうぎゅう詰めになった巡礼者たちを「もっと後ろに下がれ!」と蹴飛ばす。
本堂の屋根は色とりどりの電球で彩られているが、その光は弱々しい。
中に入れない巡礼者たちは、寺の周囲の巡礼路をひたすら回り続ける。
真っ暗な中、朝まで。
「3月までは何も起こらないだろう」
ある僧侶がそう言った。嵐の前の静けさの中で行なわれたこの試験には、6人が合格したそうである。
ンガバはキルティ寺(キルティ・ゴンパ)の門前町。
まずは寺にお参りに行くのが礼儀というものだ。
昨年3月以降かなりひどいことが起こった場所でもある。
それを承知のチベット人に連れて行ってもらう。
と、門前には、いきなり公安の建物があった。
なんてわかりやすいんだろう。
町を巡回している武装警察のトラックは、
普段はここに駐車している。
さすがに写真もブレブレになる。
VCD屋のスピーカーから、けたたましいインド音楽が流れている。
なんだか滑稽なこの建物と武警以外は、
普通のチベット色豊かな商店街なんだけど。
大僧院キルティ・ゴンパには2000人ほどの僧侶がいる。
まずは、でかいチョルテン(仏塔)が目をひく。
ある転生ラマの部屋にお邪魔した。
インドにいる座主キルティ・リンポチェの若い頃の写真が掲げられている。
おいしそうな茹で肉がたっぷり目の前にあったのに、腹の具合が悪くて遠慮せざるをえなかったのが残念だ。
それでもバター茶はいただいた。
僧坊でのんびりしすぎたものだから時間が遅くなり、だいぶ風が出てきた。
これから巡礼者が続々とゴンパに集まってくる。
たまたまなのだが、その日は特別な日だった。
境内でただすれ違っただけの、知らない老僧が言った。
「あとで部屋に来い。茶を飲んでいけ。話をしよう!」
一見、邪魔する者などいない、
いつものチベット人たちの世界が、そこにあった。